CGM Official Article / Bible Study
ペテロと魚の話から学ぶ、聖書の読み方
魚の口から銀貨が見つかるという不思議な場面を、ペテロとイエス様の出会い、そして聖書の比喩表現から読み解きます。
魚の口から銀貨?不思議な話の始まり
聖書を読んでいると、思わず立ち止まってしまう場面があります。
その一つが、イエス様が弟子のペテロに「海に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚の口から銀貨が見つかる」と語られた場面です。
マタイによる福音書17章には、イエス様と弟子たちがカペナウムに来た時の出来事が記されています。
当時、成人したユダヤ人には、エルサレムの神殿のために「宮の納入金」を納める習慣がありました。
「海に行って、釣り針を垂れなさい。最初に釣れた魚の口を開けると銀貨が見つかる。」
マタイによる福音書17章27節
ここで疑問が生まれます。なぜ魚なのでしょうか。本当に魚の口から銀貨が出てくるという意味なのでしょうか。
答えは、聖書の中に隠されている
聖書を読む時に大切な姿勢があります。それは、聖書の中で分からないことがあれば、聖書の中に答えを探すということです。
「魚の口から銀貨」という場面も同じです。この一節だけを見れば奇妙に思えますが、ペテロとイエス様の関係、そして聖書全体で使われている比喩を見ていくと、別の景色が見えてきます。
ペテロは、ただの漁師だった
ペテロとイエス様の出会いは、ルカによる福音書5章に記されています。
ペテロはもともと漁師でした。ある日、夜通し働いたにもかかわらず、一匹も魚が取れませんでした。疲れもあり、気持ちも沈んでいたことでしょう。
「お言葉ですから、網を下ろしてみましょう。」
ルカによる福音書5章5節
その結果、網が破れそうになるほど多くの魚が取れました。この出来事を通してペテロは、イエス様の言葉にただならぬ力があることを感じました。
イエス様は、たとえで真理を語った
イエス様は、多くのことをたとえで語られました。
たとえは、分かりやすくするための表現でもあります。同時に、すぐには分からないように包んでおき、求めて探す人が悟れるようにする働きもあります。
海・魚・釣り針・銀貨の意味
聖書には、人を魚にたとえる表現があります。たとえばハバクク書1章14節では、人が海の魚のように表現されています。
魚を取るためには釣り針が必要です。同じように、人の心をつかみ、神様のもとへ導くために必要なものがあります。それが、イエス様が伝えられた御言葉です。
つまりイエス様はペテロに、「世の中へ出て行き、人々に御言葉を伝えなさい。その言葉に感動し、神様へ感謝をささげる人がいる。その真心をもって納めよう」と教えられたと読むことができます。
文字通りを超えて読む時、聖書は面白くなる
聖書を文字通りに読むことも大切です。しかし、すべてを表面的な意味だけで受け取ると、かえって分からなくなることがあります。
ペテロが漁師だったこと、イエス様から「人間をとる漁師」と呼ばれたこと、聖書で魚が人を表す比喩として使われることを合わせて読むと、そこに込められた意味が見えてきます。
ペテロを変えた、たった一つの言葉
ペテロは、もともと特別な地位を持った人ではありませんでした。湖で働く一人の漁師でした。
しかしイエス様の言葉を聞き、その言葉に従ってみた時、人生が大きく変わり始めました。魚を取る生活から、人を生かし、人を神様へ導く人生へと方向が変わりました。
人は、考えによって生き方が変わります。そして考えは、聞く言葉によって変わります。
聖書を読むことは、人生と出会うこと
「ペテロと魚」の話は、ただ不思議な奇跡を語る場面ではありません。
聖書を聖書で読み解くこと。比喩を通して隠された意味を探すこと。そして、御言葉を聞いて人生を変えていくこと。その大切さを教えてくれる話です。
聖書を読むことは、遠い昔の物語を知ることだけではありません。今を生きる私たちの考えを整え、人生をより良く変えていく、神様との出会いの時間なのです。
海
魚
釣り針
銀貨